音楽業界を目指す若者へ──「人材会社の指南」も「やめとけ論」も信じるな

最近、人材会社系のキャリアメディアにて「音楽業界を目指す新卒へ向けた特集記事」をいくつか目にしました。

そこに書かれていたのは、こうした文言です。

「音楽業界にもさまざまな職種があります。プロデューサー、レコーディングエンジニア、A&Rなど、未経験から目指せるポジションも!」

……本当に、そうでしょうか?

もちろん、広い意味で「音楽業界に関われる職」はいろいろと存在します。ですが、音楽プロデューサーやレコーディングエンジニアといった“専門職”が、たかも一般企業の新卒採用で未経験から狙える職種であるかのように表現されていることに、深い違和感を覚えました。

これは明らかに、業界の構造を知らないか、あるいは都合よくぼかしているからこそ成立する言い回しです。

そしてこの手の記事に目を輝かせるのが、センター分けの髪でノートパソコンを閉じた拍子に「あ、俺、プロデューサーいけるかも」と呟くような大学生なのです。
すみません、偏見です。でも事実、あれは“就活幻想”という名の無償コンテンツを量産する読者モデルでもあります。

人材会社のこうした夢があるように見える”記事は、実際にはココナラでフリーライターに依頼したような有象無象のコタツ記事であり、その目的は若者の可能性の開拓ではなく、CV(コンバージョン率)の最適化に過ぎません。

そういう夢の切り売り記事を信じるくらいなら、街角で不動産営業して高年収をつかんだ方が、まだ健全です。いや本当に。

「“夢見させて回収する”構造」への警戒

そもそも、音楽プロデューサーになるには、現場経験・人脈・実績・耳──それぞれが問われる極めて特殊な世界です。それを、あたかも「未経験OK」かのように紹介する時点で、すでに現実の構造を歪めた情報操作です。

でもその“甘やかし”にニコニコする若者が一定数いる。
「未経験から目指せるらしい!俺もワンチャンあるかも!」という気持ちはわかります。
だけどその情報源は、「未経験から目指せるらしい」と思ってもらうために設計された記事です。

夢を商品として“提示”する。
そしてそれにエントリーさせ、回収する。

これは希望を見せたふりをして、無防備な若者のエネルギーを“数字”として吸い上げるだけの構造です。

一方の「やめとけ論」もまた、別種の暴力である

そしてその逆方向には、「音楽業界なんてやめとけ」と吐き捨てるような発信があります。
こちらはたいてい、かつて夢を追って打ちのめされた元ミュージシャンが、自分の傷をなでながら語っている(すみません、これも偏見です)。

ただ、この“やめとけ論”にも、一見正義の顔をした落とし穴があります。

たしかに、音楽業界は不安定です。食える人は少ない。理不尽も多い。
けれど、「だからやめとけ」という言葉が、未来の挑戦者の芽を摘むナイフになってしまうことは、大いにあり得ます。

挑戦する人が減れば、業界は縮み、文化は先細り、消費は細る。
これは士気の低下です。そして同時に、社会全体の景気にも影を落とします。

「プロデューサーいけるかも」と思わせる軽薄な記事と、
「音楽業界は地獄」と断じる絶望的な語り。

このふたつは一見真逆に見えて、実は同じことをしています。
“若者の主体的な選択肢”を奪い、社会の意欲をすり減らす行為なのです。

「やってみる、近づいてみる、関わり続ける」中間の道を選べ

夢を追わせるふりをして売上に変える記事も、夢を否定して無力感を植え付ける発信も、もう見飽きました。

本当に必要なのは、中間の声です。

現場に足を運び、自分の耳で音を聴き、自分の手で曲を作り、自分の責任で投稿し、試し、失敗し、また挑む──
そこにしか、本当のキャリアはありません。

大手レーベルに新卒で入ってA&Rを目指すこともできるかもしれません。でも、音楽業界の「真ん中」にいる人たちは、たいてい「変な入口」から入ってきています。

そして、その「変な入口」こそが、可能性の通路なのです。

まとめ──社会の足を引っ張らないという覚悟

夢を押し売りするな。
夢を笑い飛ばすな。
そして、他人の夢を消費するな

人材会社の小ぎれいな“夢設計図”も、やさぐれた元ミュージシャンの「やめとけ」呪詛も、最終的には社会の足を引っ張っています。

若者に必要なのは、リスクを背負った理想論でも、苦労自慢の現実論でもなく、不器用でも自分で動いてみる覚悟と、それを支える静かな応援です。

私たちはもっと、「自分で判断して、自分で選ぶ」という自由と責任の中で、夢を考えていい。
そういう空気を作ることこそが、景気回復の、いちばん地道な一歩ではないでしょうか。

名古屋の音楽教室 

株式会社ナージ