弾き語りという夢のレッドオーシャン――その才能、現実でも生かせる道はある

「歌もギターもピアノもそこそこできる。高校までは合唱部でパートリーダー、大学ではバンドサークル。いや、これってもしかして、俺(あるいはわたし)、音楽の道、プロもいけるんちゃう?」

そんなふうに思ったことがある大学生、いると思います。特に、偏差値の高い大学に通っていて、理論的に物事を組み立てるのが得意なタイプほど、「自分の能力と努力で道を切り拓けるのでは?」と本気で考えてしまう瞬間がある。

でも、音楽の世界は、計算通りにいかない“ズレ”や“揺らぎ”が支配する場所です。才能も、戦略も、努力も、もちろん必要です。でも、それだけでは届かない場所が確かにある。

筆者は音楽業界の片隅で、そういう夢と現実がぶつかり合う場所を静かに見てきました。


才能が集まりすぎる世界――若き女性弾き語りの飽和

とくに、若い女性による弾き語りの層は、いま本当にすごい。

日本では学校教育で音楽に触れる機会が多く、ピアノを習う文化も根強い。そんな中で、勤勉で真面目な気質の女の子たちは、自然と音楽的素養を身につけ、10代後半にはSNSで驚くほど完成された弾き語りを披露するようになります。

声も演奏も、感情表現も上手い。でもそのクオリティにもかかわらず、注目されるのはごく一部。もはや才能の飽和状態です。これは「夢を追える時代」の光であると同時に、「プロの入口が狭すぎる」という現実の影でもあります。


男性が歌うことに、なぜか社会はちょっと冷たい

ここで慎重に触れておきたいのが、男性が弾き語りをすることの“生きづらさ”

たとえば路上ライブ。通報されるのは、体感で圧倒的に男性です。「うるさい」「怖い」「目立ちすぎ」――そう思われる理由はいろいろあるでしょうが、同じことを女性がやると、なぜか許される空気があるのも事実。

これが“社会構造”なのか“偏見”なのか、一概には言えません。でも、「ただ歌いたいだけ」の男性にとって、その空気が足かせになっていることは、見えないストレスとして積もっているように感じます。


「上手い」だけでは届かない――感情を“見せる”技術

さらに現代の弾き語りシーンでは、「上手い」だけでは評価されません。

リスナーが求めているのは、「感情がこもっているように見える」パフォーマンスです。これは演技力であり、演出力でもあります。

本気で歌っていても、それが“感動的に映らない”限り、評価されにくい。技術も、表現も、編集も、自己プロデュースも必要――つまり、音楽はすでに総合芸術になっています。


実際にプロになった人たちもいる――ジャズ研という“例外”の輝き

もちろん、「だから音楽はやめておけ」と言いたいわけではありません。実際、一部の大学ジャズ研究会の出身者が本物のプロになって活躍している例は多数あります

ライブハウスの現場には、「あの人、東大ジャズ研出身だよ」「早稲田のジャズ研出身らしい」みたいな話がごろごろ転がっています。演奏技術、吸収力、知性、そしてなにより“狂気のような情熱”を持ち合わせた人が、プロになっているのです。

だから夢を見ること自体を否定するのは、まったく違う話です。


でも、新卒カードは思ってるより貴重

一方で、新卒カードを捨てて音楽にフルコミットしたものの、10年後に後悔する人が一定数いるのも事実です。

「就職しておけばよかった」
「キャリアのスタート地点に立てなかった」
「好きなことしかしてこなかった結果、選択肢がない」

音楽が好きだからこそ、それを守るための“生活基盤”を築くことは本当に大切です。夢を続けるために、一度“地に足をつける”。これは敗北ではなく、持久戦への準備だと筆者は思っています。


就職という選択肢は、“布石”であって“墓標”ではない

音楽系の企業に就職するもよし。全然違う業界で安定収入を得ながら副業・趣味として音楽を続けるもよし。今はそのどちらも可能な時代です。YouTubeも、配信も、会社員をしながらでも十分にできる。

就職は「夢をやめる」ことではない。夢を“持ち続けるための体力”を得る手段です。


それでも“夢を見るな”とは言いたくない――教育における纏足の話

ところで――

進学実績を気にするあまり、生徒の芸術系進路を否定する高校教師って、一定数います。やたら「安定した仕事に就け」とか、「音大はつぶしが利かない」とか。

でも、そういう先生に限って、なぜか担当クラスの進学実績が微妙だったりする。不思議です。

夢を否定して堅実な道ばかり勧めるのは、教育ではなく管理かもしれません。これはある種の“纏足(てんそく)”のようなものです。

※纏足とは:中国の風習で、女性の足が「美しく見えるように」幼少期から布で縛って変形させる習慣。歩きにくく、身体に悪くても「見た目のため」に小さく抑え込む文化でした。

子どもの可能性を、無理に“正解のかたち”に押し込むのは、その現代版纏足のようなものです。

だからこのブログでも、「夢を見るな」とは言いたくない。だけど、「夢の見方は考えよう」とは言いたい。


最後に――夢と現実の両立は、きっとできる

夢があるなら、守れるように。
現実があるなら、飲み込まれずに。

就職活動は、「音楽をあきらめる儀式」ではありません。むしろ、長く音楽を続けるために“足元を固める”一手でもあります。

才能がある人こそ、現実を味方につけてください。
夢を見られるだけの視野と、現実を受け止めるだけの器――その両方があれば、あなたの音はきっと、遠くまで届いていきます。


名古屋の音楽教室 

株式会社ナージ